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先輩の声

留学制度③

助教
塩畑 健
Takeshi Shiohata

  • 出身/東京都・日本大学
  • 専門分野/小児科学
  • 日本小児栄養消化器肝臓学会(認定医)

Q. 県外ご出身の塩畑先生ですが、岩手県に来られた経緯を教えてください。

東京生まれ東京育ちで日本大学に通っていたのですが、大学3年に上がる頃に父(の会社)が倒産して学業が続けられるかどうか分からなくなりました。普通の金融機関でお金を借りることもできない状況で、大学の先生にも「大学を辞めるか他の学部に行くか、いろいろ考えなさい」と言われた厳しい時期だったんです。

その時、親身になってくださった方から「県が出す奨学金があって、のちのちはその県で働く」というものがあると聞きました。調べたところ、岩手県と長崎県が(支援額が)高かったんです。加えて学生新機構と日本大学本部全体の奨学金3つを駆使しました。当時は大変だったんですが、それでも助けてくれていた人や家族のおかげで何とか学業を続けられたという経緯がもともとあります。

岩手県の奨学金は、当時なら「沿岸部での研修」という条件付きでした。研修期間の最初2年間は大船渡病院でしたが、研修最後の日が2011年3月11日で、東日本大震災が起きたんです。それまでは期間が終わったら東京に帰ろうと考えていましたが、震災もきっかけとなっていろいろ考えた結果、岩手に残ることを決めました。

Q. そこから留学に行くことになった経緯も教えてください。

岩手医科大に残るなら、博士号も取りたいという思いがありました。実は弟が「ヒルシスプルム病の全結腸型」という難病で、今の時代で言う医療ケア児でした。私が小学校3〜4年生の頃に弟は1歳10カ月で亡くなりました。そんなこともあって、小児の消化器分野に興味を持って医者になろうと思った経緯があります。

日本全国の中で小児消化器を手がけている医療機関の数はそんなに多くないですが、拠点病院はあります。その中で今は国立盛岡医療センターに在籍している佐々木美香先生という方がいます。学位取得の際に指導してくれたのですが、その先生に「どういう順路をたどって奨学金を返しつつ小児消化器を勉強していけばいいか」と相談したら、すごく快く受け入れてくれました。

そこから大人の消化器疾患をメインで診る機会があり、内視鏡検査の症例数を積むことができて「やっぱり内視鏡は面白いな」と思っていました。その後で大学に戻って、学会の際に済生会横浜市東部病院の先生に別の症例を相談していたタイミングで「大人の内視鏡をやっている」と話したら、後になって「1人欠員が出たから、1年間くらい小児消化器の勉強をしに来ないか」と声をかけていただけました。先方から声をかけられるケースはそう多くはないと思うし「いい機会だから行ってきなさい」と医局も言ってくださり、1年間お世話になったという流れです。

Q. 大人と子どもではやはり難しさは異なるものですよね?

はい。子どもの方が少しデリケートになるとは思いますが、内視鏡の件数だけ見たら消化器内科の先生たちの方が10倍くらいは多く経験しているので、手技としての上手さは絶対に消化器内科の方が上だと思います。日本に何人小児科医で内視鏡をできる人がいるかはわかりませんが、メリットは自分たちで鎮静や鎮痛、いわゆるお子さんに苦痛なく内視鏡の手技を提供するという部分でしょうか。内科の先生に検査をお願いすると予定が合いにくいこともありますが、そんな時に自分たちができれば、子どもの状況で即日鎮痛鎮静をかけてすぐ検査することも可能です。

Q. 留学の話に戻りますが、1年間の留学で経験して今に生きていることを教えてください。

留学先の病院はものすごく症例が豊富でした。日本中から重症なお子さんが来ていて、場合によっては海外から来ていた患者さんもいます。ざっくり言うと、例えば10人入院しているとします。そうすると、3〜4人はここで10年間勤務して1人か2人しか経験しないような子が常にいるイメージです。診たことのない症例を診ることができたし、精密検査のスピードも速い。例えば肝不全などでも今日、明日、明後日の3日間で検査が全部終わります、とうスピード感で検査をしていくんです。だからとても忙しかったんですが、「なるほど」と思うことも多くありました。とにかくすごい速さで回っていきます。小児消化器の医師としての体の動かし方や、重症な子を取りこぼすことなく、迅速に診断していく力を身に付けさせてもらいました。

たった1年ではあります。でも全く見ていなかったのと、近くで見ていて一部担当させてもらったのとでは、医師としては全然違うと個人的には考えています。ここは岩手県の最後の砦ですが、都心と比べると年間の出生数も全然違いますし、全国から集まってくる患者さんを診る頻度も違います。そういう意味では見識が広がったと思います。

あとは医師として何かのアクションを起こそうとするとき、一歩引いて「できれば避けたい」と思う手技があります。例えばその子にとって侵襲度の高い内視鏡や、肝臓組織を採る肝生検など。そういう時でも、「この子にはこの検査が絶対に必要だ。よし、明日やろう」という切り替えが早くなりました。そういうメンタル面での強さも身に付きましたね。

Q. 留学を経験した意義も感じましたか?

岩手医科大で生まれ育った医師が多い環境なので、そうではない人たちの中に入ったことはとても新鮮でした。神奈川だったので、北里大学とか防衛医科大学とか慶応大学とか、いろんなバックグラウンドを持つ先生たちがいたんです。琉球大学の先生もいましたし、他の科で他の地域から国内留学に来ている先生もいました。そういった先生たちが診療が終わった後、夜中の1〜2時までずっと勉強しているんですよ。医局内だったり、ちょっとしたスペースだったりで。それは刺激になりましたし、他の地域を経験するのはとても大事だと思いました。

都市部ではいかに実力を付けて多くの論文を書いて、さらにステップアップしていくという競争社会の中で生きているんです。でも地方は違います。どちらが良い悪いという話ではなく、両方の世界を知れたことがよかったです。自分は東京の生まれ育ちですが、そんなに激しい競争を繰り返してはいなかったので。

Q. 入局や留学に興味のある方に向けてのメッセージをお願いします。

留学でのメリットばかりをお話しましたが、「こちらの方がいいな」と思った面もあります。例えばここで集中治療を要する患者さんが集中治療室に入院したら、その患者さんの人工呼吸器管理や透析管理、中心静脈ルートの管理、抗生物質などの投薬、栄養管理なども含めて全部自分がやらなければいけないんです。逆に言うと医者の実力に依ってしまう側面もあるかもしれませんが、何人かでチームを組んで、その患者さんが絶対良くなるように、生き残るように働く場所です。

都市部は状況が違います。集中治療室に入ると役割が決まっていて、ルート関係は集中治療医、透析はME、抗生物質は感染症科の先生…というように、それぞれ専門分野で分業しています。それで夜中に自分の眼前で「これは抗生剤が効いていない」と判断しても、例えば金曜日や土曜日の深夜だったら月曜日まで待たなければいけない…というタイムラグが発生してしまう可能性があります。だけどこちらは、頼ってくれたら全力で診ます。そういう医師としてのマインドも、個人的には岩手医科大が合っています。

ですから都市部などの病院に留学して多くを学び、岩手に来て働く――というキャリアが一番いいのかなと思います。医師数が潤沢な医局ではないですが、快く「行っておいで」と送り出してくれます。それがありがたいですね。そういう意味で平等なのも、すごく魅力的な環境だと思います。

Tagopedia

田子秘書が見た塩畑Dr.の
スゴイところ!

いつも冷静で穏やかで柔らかくお話ししてくださり、なんだかホッとする先生です。

時には怒ってるなーって思うときもありますが、その空気をあまり出さないというかそれも穏やかに話されるので怒ってる雰囲気にならないというか。

おっしゃっている言葉はストレートな時もあるんですけど。笑

またお子さんを学校に送ったり習い事の送り迎えをしたりと、日々診療等で忙しい中ご家庭も大切にされている先生で、一度おうちに帰り夜中病院に戻ってきてお仕事していることもあるようです。