先輩の声
留学制度②特任講師
和田 泰格
Yasunori Wada
- 出身/岩手県・聖マリアンナ医科大学
- 専門分野/小児内分泌、糖尿病、先天代謝異常
- 日本小児内分泌学会
Q. ご出身と、学生時代はどのように過ごしていたかを教えてください。
出身は盛岡市で、生まれも育ちも岩手です。大学だけが聖マリアンナ医科大学です。うちは父も岩手医大で小児科の医局ですし、祖父も岩手医大で小児科なので、親子3代ですね。私も幼少期から医師になりたいと思っていて小学校の卒業アルバムには「小児科医になる」と書いています。その後は「ミュージシャンになりたい」とか「レーサーになりたい」とか言ったこともありますね。楽器は買ってくれましたが、レースはさせてくれなかったです(笑)。
高校で1年間カナダに留学しました。トロントの南西にハミルトンという小さな工業地帯があって、そこにホームステイしていました。ホームステイ先のお父さんがMcMaster大学の、おそらくは遺伝学の先生で、お母さんが看護師。面白い家庭だったと思います。その子どもたちと一緒に生活していたんですが、子ども達は全員医療とは全然関係ない仕事に就いていたんです。そこで「医者の子どもは医者じゃなくていいんだ」というあり方に接したら、逆に「医者になってもいいかな」って思ったことが決め手です。
Q. 親子3代の小児科医ということで、岩手の小児科医療に対する思いなども持っていますか?
父親にある程度の憧れはあったと思います。大学を卒業して岩手に戻るタイミングで小児科と循環器内科で悩みました。循環器内科はすごく人数が多くてメジャーな印象で、小児科の医局は少人数だけど素朴で温かみがありました。それで「ここならやれるかな」と思って小児科に決めたんです。自分の地元だということもあって、小児医療という事だけでなく「地域の子どもを育てることの一環」のような気持ちが多少あると思います。
Q. 専門が小児内分泌科ということですが、留学に至る経緯を教えてください。
もともと小児救急も興味があったのですが、大学院のテーマを考えている時に当時の医局長が「内分泌をやる人がいない」と言ってくれたことがきっかけで、大学の内分泌外来を見に行きました。その時に「勉強すると面白いんだな」と思っていたら「どうせならちゃんと勉強してきたら?」と留学先を紹介してもらったんです。せっかくだから内分泌の専門医資格を取ろうということで、東京都立小児総合医療センターに3年間留学することになりました。
Q. 内分泌ならではの魅力も感じていたのでしょうか?
内分泌は意外とメカニズムで説明がつく疾患。投薬や注射の治療で、例えば生活するうえで5割くらいのパフォーマンスで困っている人が6〜7割に上がります。とにかく診断することに意味があり、自分がやったことがプラスになるというのがすごく面白いと思いました。
ただ、意外と数値が変動しやすく、特に子どもは難しいと思います。小さいうちは保護者がしっかり薬の管理をしてくれますが、薬を飲まなくなりがちな思春期が難しいですね。面と向かって聞くと言いにくいと思うので、「どれくらい薬は残ってる?」という感じで、聞きながら判断していきます。僕たちが診ている患者さんは採血ありきでの診断。必ず注射針を刺されるのが分かっているから、かわいそうなんですよね。それに、大きな症状が出ないと薬はなかなか飲まないのも心情としては理解できるので、あまり罪悪感を持たせないように心がけています。
Q. 留学して得られたことや経験できたことを教えてください。
小児内分泌はもちろんですが、知識が少なかった遺伝について論文が読める程度に教えてもらえたのが良かったですね。実験も少し手がけさせてもらいました。あとは仲間というか、いろんな場面で話し合える人が各地にできたのがすごく良かったと思います。国立成育医療研究センターにはかなわないですが、大きい場所で切磋琢磨しているのを見られたこともプラスになっています。
基本的には臨床でした。都立小児にはPICUがあったので、内分泌疾患以外に先天代謝異常の患者さんも搬送されてきます。アンモニアが上昇したベビーも診療させてもらいました。症例数も多く、その地域の子どもたちだけでなく、手術を目的に別のエリアから珍しいケースの患者さんが来ることもありました。
Q. 実験はどのようなことをされていましたか?
サンガー法の基礎的なことを教わりました。自分でプライマーを組んで増やして…というレベルだったので、本当に基礎中の基礎レベルです。もともとこちらでは実験の経験はまったくなく、学位もNICUを退院した患者さんの低身長の解析などで、きわめて臨床的でした。
Q. 医局として、留学の行きやすさについてはどう感じていますか?
ウェルカムだったかはわかりませんが、人手が少ない時期だったので迷惑をかけたとは思っています。当時は一緒に入局した人が4人いて、みんな今はばらばらになっていますが、その時期に医局にいてくれていたので助かりました。なのでこれから自分がやれることは、岩手県で子どもたちの診断や治療のほかに、医局の若手を増やして、色々なことができるようにしてあげることが一番だと思っています。
Q. 留学の経験が生きたことや、価値観やものの見方や考え方の変化はありますか?
ものの見方や考え方は大筋では変わっていないと思います。ただ、別の世界、特に都市部の医療を知ることができたことは大きいと思います。都心では専門の先生がちょっと移動すればいますが、こちらではそうはいきません。だからできるだけ知識を増やして、見逃さないようにする。必要な手術は東京に紹介しますし、難しいのも相談しながらやれる範囲でやる。できない場合はお願いする…といった行き来はしやすくなったと思います。昔よりは相談のハードルが下がったことは大きいですね。
Q. 入局や留学などに興味がある方に向けてのメッセージをお願いします。
赤坂教授がとても気を遣ってくださることもあって時間の自由度が非常に高いので、やりたいことをかなえられるのは間違いないです。医局の雰囲気も明るくなっています。岩手医大卒の先生だけでなくさまざまな地域から来ている人が多く、赤坂先生や石川先生などがうまくまとめて集団として成り立っていると思います。
学びたいことや行きたいところ、学習の向上に関することなどは、ある程のスキルを持ったうえで理由と目的があればかなえてくれると思います。積極的に取り組める環境です。
Tagopedia
田子秘書が見た和田Dr.の
スゴイところ!
とてもユーモア溢れる先生で、若い先生方に慕われてるなーと感じます。
そばでみていて和田先生とお話ししている先生方とても楽しそうですし、話した後は先生方が元気になっている気がして、いつも和田先生に元気をもらっているんだなー!と感じております。
そして診療や会議等で真剣にお話しされている姿のギャップが、とっても素敵でかっこいい先生です。